栗塚旭(88歳)とはどんな俳優だった?
2025年9月、俳優の栗塚旭さんが88歳でその生涯を閉じました。この知らせは、多くの人々にとって一つの時代の終わりを感じさせる出来事でした。
栗塚旭さんの名前を聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、鋭い眼差しと孤高の雰囲気をまとった「新選組副長・土方歳三」の姿でしょう。
栗塚旭さんを語る上で、土方歳三役は切り離せません。1965年のテレビドラマ『新選組血風録』や1970年の『燃えよ剣』で栗塚旭さんが演じた土方歳三は、単なる当たり役という言葉では表現できないほどの衝撃を日本中に与えました。
そのニヒルで冷徹ながらも、内に熱い情熱を秘めた演技は、「土方歳三といえば栗塚旭」というイメージを決定的なものにしたのです。その影響力は絶大で、原作者である司馬遼太郎さんさえも「土方そっくりや!」と絶賛したという逸話が残っているほどです。
もちろん、栗塚旭さんのキャリアは土方歳三役だけにとどまりません。1957年に劇団「くるみ座」に入団して俳優の道を歩み始めてから、60年以上にわたって映画、テレビ、舞台と幅広い分野で活躍を続けました。
『暴れん坊将軍』での山田朝右衛門役など、数々の作品でその確かな存在感を発揮し、晩年に至るまで多くの人々に愛され続けた名優でした。
栗塚旭が死去した原因は病気?現在の報道で分かっていること
多くのファンや関係者が心を痛めた栗塚旭さんの訃報ですが、その死因は病気だったのでしょうか。
現在までに分かっている事実として、栗塚旭さんは2025年9月11日、長年活動の拠点としてきた京都市左京区の自宅で亡くなっているのが確認されました。享年88歳でした。
栗塚旭さんの死因についてですが、公式な発表では詳しい病名などは明らかにされていません。報道によると「静かに息を引き取られた」とされており、ご家族の意向もあり詳細は伏せられていると考えられます。
この知らせが大きな驚きをもって受け止められた理由の一つに、栗塚旭さんが亡くなる直前まで現役として活動を続けていたことがあります。
時代劇専門チャンネルの人気シリーズ『三屋清左衛門残日録』の最新作への出演も決まっており、撮影を間近に控えた中での突然の出来事でした。
親しい関係者によると、亡くなるひと月前の8月に会った際も、特に体調が悪い様子は見られなかったといいます。このことから、長く病気で闘病していたというよりは、生涯現役を貫いた俳優が静かに舞台を降りた、という印象を多くの人が抱いています。
栗塚旭の功績と素顔
栗塚旭さんの魅力は、画面の中の演技だけではありませんでした。60年以上にわたるキャリアと人生の軌跡には、多くの人を惹きつける人間的な魅力があふれていました。
逆境から生まれた役者魂
栗塚旭さんの俳優人生の原点は、決して平坦なものではありませんでした。北海道札幌市で生まれましたが、幼い頃に父を、そして中学3年生の時に母を亡くすという辛い経験をします。
その後、京都で教師をしていた兄を頼って移り住みました。悲しみの中にありましたが、幼い頃から映画が大好きだった栗塚旭さんにとって、「日本のハリウッド」と呼ばれた京都での生活は、悲しみを乗り越える大きな力になったといいます。
俳優への道は偶然から開かれました。大学受験を目指す浪人生だったある日、劇団「くるみ座」の稽古を見学した際に演劇の魅力に引き込まれ、その門を叩きます。
駆け出しの頃は、広告モデルやラジオのDJなどで生計を立てながら、俳優としての道を模索し続けました。この逆境から始まった経験が、栗塚旭さんの演技に深みを与えていたのかもしれません。
「鬼の副長」土方歳三との出会い
栗塚旭さんの名を一躍スターダムに押し上げたのは、やはり『新選組血風録』の土方歳三役でした。当時27歳だった栗塚旭さんは、この役との出会いで人生の転機を迎えます。
実は、栗塚旭さん自身は幼い頃から体が弱く、運動がほとんど得意ではなかったと語っています。そのため、流れるように美しい殺陣はできなかったといいますが、その朴訥で必死さが伝わる剣捌きが、かえって「斬るか斬られるか」という真実味を生み出し、視聴者に強烈なリアリティを感じさせました。
様式美よりも人間の生々しさを重視した栗塚旭さんの演技は、テレビ時代劇に新しい風を吹き込んだのです。
喫茶店「若王子」でファンと紡いだ時間
栗塚旭さんの人柄を語る上で欠かせないのが、京都市の自宅敷地内で経営していた喫茶店「若王子(にゃくおうじ)」の存在です。
1972年から2002年までの30年間、この店は栗塚旭さんとファンが直接交流できる貴重な場所でした。自ら店に立ち、気さくに接客をする栗塚旭さんの姿がそこにはありました。
ファンからサインを求められれば快く応じる一方で、土方歳三役の低い声をリクエストされると「あれは仕事の声だからお金が要るよ」と茶目っ気たっぷりに答え、俳優としての矜持を失わない一面もありました。
この場所は、ファンにとって、スターではない一人の人間としての栗塚旭さんに出会える、特別な空間だったのです。
晩年も続いた新たな挑戦
年齢を重ねても、栗塚旭さんの創作意欲が衰えることはありませんでした。晩年には、日本の古布を素材にした洋服ブランドのモデルを務め、俳優歴60年の貫禄と洒脱な魅力で人々を惹きつけました。
さらに驚くべきことに、83歳になった2020年には数十年ぶりとなる新曲「ただそれだけで / My Only Love」をCDでリリースしました。
この挑戦について栗塚旭さんは「80歳を過ぎてCDを出すというのは夢があるじゃないですか」と語っており、生涯を通じて未知なるものを追い求める探求心を持ち続けていました。
【まとめ】
俳優・栗塚旭さんが遺した最大の功績は、間違いなく、多くの人の心に深く刻まれた「土方歳三」という不滅の人物像です。栗塚旭さんが命を吹き込んだ鬼の副長は、半世紀以上の時を経てもなお、色あせることなく輝き続けています。
しかし、栗塚旭さんの功績はそれだけではありません。幼い頃に両親を失う逆境を乗り越え、偶然の出会いから天職を見つけ、ひたすらに芸の道を突き進みました。そして、絶大な人気を得た後も、愛する京都の地でファンとの交流を大切にし、晩年まで新たな挑戦を続ける遊び心と探求心を失いませんでした。
栗塚旭さんの死因が特定の病気によるものかは明らかにされていませんが、その生涯は、最期までプロフェッショナルとして、そして一人の魅力的な人間として、自分らしい生き方を貫いた、一つの完成された物語のようです。
栗塚旭さんが遺した数々の作品と、その誠実な生き様は、これからも私たちの心の中で永遠に輝き続けることでしょう。
俳優・栗塚旭さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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